リウマチと私   【チュウコウのプログより】

        「リウマチです!」

        県立病院整形外科医に宣告されたのは、
        丁度1年前の1月4日
         
           問診・触診・血液検査そしてレントゲン検査の結果・・・  

                     年末は家業(理容)の仕事が忙しく、正月明けを待っての大きな病院での診断だった。

                         妻を伴っての受診・・・。
                           
                  それほど日常生活に大きな影響があるような症状になっていた。

                         手指そして膝、腰から臀部大腿部まで動きが悪く苦痛が伴った。
                         歩行は勿論、段差のある階段上り等は困難になり、
                         寝返りする事さえも苦痛だった。
                                                                                                                              
  
   発症は、一昨年の9月頃から
      
      左手人差し指が少し動きがぎこちなくなっていた。

          街の整形外科医で診断を受けた結果は、
                「関節炎」だった。

        数回通ったが回復しなかった。

    他の整形外科医へ行ったのは、2ヵ月後だった。
           やはり「関節炎」で指の手術を勧められ、
                             執行する日時まで決めていたが
               何と言う訳も無く、とり止めにした。

        勿論、両整形外科では
         血液検査は行ったが、指数には表れなかった。

                レントゲン検査も行った。

      その後、手かざしの接骨院・鍼灸院と巡る内に
        両方の手指、膝までが痛くなり動きが悪くなってきていた。

    そして…年を越しての受診となった次第だ。
                      
                    ・
                    ・
                    ・

     昨年(2006年から)は毎月、県立病院【内科和漢薬診療】に通い続けた。

       勿論自分自身でHPや本等を参照し
       トレニング・マッサージなどを一生懸命行った。
       妻が「やり過ぎでは・・・。」と、注意する位に必死に行った。



 その結果・・・。

      1年経過後の、今年初めて今日(1月12日)病院へ行った。

             「良くなりましたネ。 良かったですね」
                
                 担当の先生も驚くほど
                 発症前の日常生活を行えるほど回復したのだ。

        歩行は勿論走ることも階段を上る事も
     昨年秋から日帰り登山やソフトボール審判もやり始めた。

     若干指の強張りと腰部の動きが悪い時もあるが、
     毎日の温泉通いで殆ど回復する。

         完治が難しいと言われている疾病だが、
         『リウマチも回復する』と確信し、トレニング等を暇があれば続けている。
 
         必ず『完治する』と意気込みで・・・行っている。

         具体的な事は、次回にしたい。
                               (2007年1月)

リウマチー2 発症原因は?

  【毎日の水風呂入浴が、発症原因では・・・】

      リュウーマチー・・・一般的に呼ばれている。
      リウマチ・・・インターネットや病院でいただいた小雑誌に記されている。

       発症原因も概ね
          1 体質的要因
          2 免疫的要因
          3 環境要因

        だと言われているが、はっきりと原因はわかっていないのでは。

     ところで私はなぜ?発症・り患したのだろうか。

            過去十数年毎月5月に人間ドックで検診を受け
            血液・尿等検査指数についてその都度
            医師や看護師そして栄養士に診断や指摘助言を受けていた。

    若い頃からスポーツが好きで
            今でも毎日自転車や散歩を続け
            ソフトボール審判や軽スポーツを週1〜2回行っていた。
            心身を鍛えていたつもりだ。
  
    それでも
       手指に違和感を始めたのは、8月頃から・・・。
       リウマチと医師に宣告され、激しい痛みを伴う発症したのは約半年後、

 振り返ると自分自身思い当たる原因があった。
     
 3の発症原因そして悪化の誘因とも言われている 
      
         冷え、湿気等が原因で、

身体内部に発痛物質ができたのではと…。

 それは、
 
 毎日のように温泉の熱い湯船に浸かった後必ず、
         
   水風呂に入浴し続けたことだ。
         
     数分も・・・
            一度の温泉入浴で3〜4回熱い湯船に入れば
            同じ回数の水風呂に入り、
            そのまま湯上りだった。

           一昨年頃から、それが心身にすっきり引き締まるので
           健康を維持するのに良いと確信して
           寒い冬でも続けていたような気がする。


       今振り返ると、無茶な事をしていたと思う。
  
      発症しても入浴を続けていて、昨年5月頃
         「これがいけないのでは…。」やっと気が付き、
         水風呂は絶対入浴しない事にした。

        その後しばらくして症状が改善して来た様な気がする。

        “身体を冷やさない” がこの症状の防御だと
        インターネットにも記載されていて確信した。
     
           肩・腰そして膝に常時サポータをして保温している事は、
           言うまでもない。

           リュマチの症状は、次回に・・・。 

リウマチー3 初期症状

 2005年9月
 
     左薬指の第二関節が動き難くくなり、
     痛みは無かったが、指先が手掌に付かず
     無理に付けよう・動かそうとすると痛みが残った。
     日常生活には痛みは無かったが、取りあえず整形外科へ。

       レントゲン(指・首・肩)・血液検査で異常無く(リュマチ数値等)
       ただ握力が右の45に対して左15しかなかった。

       頚椎間隔が狭まってその影響による
      「関節炎」では…と。
 
     尿酸数値が7と高かったので薬(ザイロリック)服用と
     首の牽引と湯槽の中での手指の運動を
     週二回、二週間通院したが…
     指の症状に変化無く、行かなくなっていた。
 
       その頃、まだ足腰には異常が感じられなく、
      休日毎に立山や黒部峡谷そして白山スーパー林道へ紅葉見物に行っていた。
      勿論 日曜日休日はソフトボール審判も身体の苦も無くこなしていた。
 
     今振り返ると、 
         山やスポーツ、趣味を生きがいにしていた為か
         気持ちで隠れていた症状を抑えていたのかもしれない。
 
         趣味がシーズンオフになる頃
         涼しさから朝晩寒さを感じる頃から
         手指だけでなく、何となく腰や膝周辺が動きがぎこちなく
         時々痛みが出始めて来た。
         気にならない日々もあった。

            前にも記したが、毎日温泉等に入り、
 
            今思うと発症原因の一つでは思われる水風呂にも浸かっていた。


    
     やがて
        正座は勿論大和座も少しの時間しかできず、
        無意識に体勢を動かしたり足を投げ出したり行っていた。
 
        畳や床から立ち上がる時 
        椅子から立ち上がる時も手で押すテーブルに力が入り、
        階段も上り辛くなってきていた。

     しかしまだ、数年前に痛めた腰椎の所為にしていた所があった。
 
     その内徐々に、
       腰部から両足腿に掛けての健(筋肉)が萎縮して引っ張るように、
       両膝裏にも何かで引っ張られているような
       自由に伸縮しない・・・硬い筋肉でできた感触が
              言いようの無い症状が出てきていた。

     年末も近づき仕事が忙しくなり、医者へ行くことを躊躇っていた。

     正月明け早々に大きな病院行き、精密検査を受けることを決め
     年末正月を過ごした。

リウマチー4 症状

 2006年正月
 可愛い孫達と楽しいお正月を過ごせる・・・と思ったが。

 前年、92歳で天寿を全うした親父を見送り喪に服し、
 私が身体の関節節々が痛み機能障害で気が滅入り
 好きなお酒も口が欲せず、手指も口元へ差し出そうとしない。

 これでは新年を迎える楽しい雰囲気が生まれるはずが無った。

 
   唯一談笑に及ぶは、
     無邪気に遊ぶ2歳前後の孫達のはしゃぐ声が家中に響いた時。
   
   三が日明け、4日に診療開始日の県立病院へ妻を伴い駆け込む。

   整形外科で、精密検査(血液検査・レントゲン・問診等)の結果…
   「リウマチです」と医師の宣告。


頭の血の気が引いたのは言うまでもないが、
  
 妻がそれにも増してショックを受けたのは、

 想像できた。


 その頃『リウマチ』は、原因不明で不治の病と、
      
 事前に医療の本やインターネットで調べ、

 信じ込んでいた。

     とても現在のように
     普段の日常生活いやそれ以上に好きな山登りや
     生きがいにしているソフトボール審判をやれるとは
     思っていなかった。

   1 クリノリル錠
   2 セルベックスカプセル
   3 ファルネラートゲル塗布薬
   を処方いただき服用する。

    ・・・がしかし、症状が改善する兆しが感じられなかった。
    
    ここ数年に無い大雪に見舞われたこの年

    寒さも以前にも増して感じられ、本当に寒い日々だった。
 
 次回 2月の診療日


  整形外科の医師より
    「当病院に優秀な和漢薬の先生がいらっしゃるので紹介します」
   と、内科和漢診療科へ行く事になった。

  和漢診療医師より
   1 ツムラ桂枝加朮附湯エキス顆粒(医療用)
   2 ツムラ真武湯エキス顆粒(医療用)
   3 修治ブシ
   4 セルタッチ  を処方され服用する。

  3月初旬の診療日
   症状に変化無く、身体の機能障害が続く。
   2月処方薬以外に
  
   5 クリノリル錠
   6 ガスロン錠  を服用する
。が・・・

   改善が見られず

  3月下旬の診療日
   血液検査の結果 CRP(炎症指数)が2.1になっていた。
    5・6に替わり
   7 リドーラ錠を処方され
    「少なくとも3ヶ月効果が出るまで掛かる」と薬剤師から忠言がある。

  4月中旬の診療から
   8 ボルタレンS RCap (7月まで3ヶ月服用する)
   9 ガスロンN錠  追加服用する。


  身体異常症状・機能障害等の最悪期は、6月頃まで続く。

  ー − ー − − − −
  最悪期の症状・機能障害は・・・

   ● 歩行障害
      足裏の親指の付け根(母子丘)が腫れ、屈折運動(曲がらず)せず
      膝横裏の健が腫れ屈伸出来ず、持ち上げ難い
      腰部から大腿筋が張り伸縮しない
        身体を前屈し、肩を揺すり振り子の様に歩いていた。
   ● ジャンプ・横歩きできず

   ● 段差ある階段等昇り降り困難に
      膝が身体の前後及び左右に支える力が弱い

   ● ペットボトルの蓋、缶飲料のタグを剥ぐ事が困難に
      手指の先が手掌に付かず、曲げ難く握力が極端に少ない

   ● 寝返り、寝起きに痛みが走り「イタ・タ・た!」・・・無意識に声が
   ● 椅子から、便座から・・・床から・・・運転席から・・・
      立ち上がる時、何かに掴まり、体勢を整えなければ・・・

  
   最近の普通の生活に戻れた事を感謝し、
     湿舌に尽くし難く辛く悲しく切なかった症状最悪期を振り返ると…

   寝付き悪く、夜中に2〜3回目を覚まし、トイレに駆け込む。
   体重も5kg以上痩せ、精神的にも落ち込み

   妻に今頃聞くには、
     「最悪期のあの頃お父さんどうなるのかと・・・」
      心配でならなかったと振り返る。

   症状の最悪期が改善の兆しが見え
   精神的にも「これではいかん!」「がんばらなければ・・・」

   今振り返ると転換期になった出来事が
     6月頃であった。それは・・・

   大好きで生きがいにもしていた
    『ソフトボール審判』を見たからだった。

   6月上旬の高校選手権富山県大会と下旬の一般県選手権だった。
   9月下旬の全日本総合選手権に審判員として出場するのだと
 
   一大決心して頑張るのだ。 と・・・後3ヶ月しかない。
   兎に角やってみる

   妻も
    「やり過ぎでは・・・」「大丈夫?」と引き止めようとする位
    今振り返ると
      血が滲む様なとはこの事かと思う位頑張り努力した。…つもりだ。



その後
    
  ソフトボール審判や

   山登りそして写真撮影と飛び回っている現在
     
   いかがした結果このように回復したのか





         次回に記載したい。 
         

リウマチー5 勝利宣言!

 

「やった!!」ついに「リウマチに勝った!」
 
  と勝利宣言する。
 
 治そうとする気持ちが、

  症状より勝ったと確信した。

 






 2月8日のブログ、リューマチ−4 症状
 記載してから既に4ヶ月近く経過してしまった。
  
  この間、左手指に僅かに残っていた違和感(強張り)を
 治そうと言う重大な意思を持って改善リハビリに努めた。
 
  その結果、
 発症前と殆ど変わらない、違和感もなく自然に使えるようになった。
  
  四六時中・・・グーパー・グーパー運動。
  車運転中も軟球を持って屈伸・柔軟運動。
  マッサージや摩り運動を無意識の内に行っていた。

  
  5月の初旬に2年振りに受診した人間ドックの結果が、
 今週送られて来た。
 
  尿酸値が要観察の8.6に上昇していた以外
 注意項目が見られずほっと胸を撫で下ろす。

   リウマチ発症前の体調に戻ったと確信した。
 (尿酸値については、以前より7前後あり、
  受診前のゴールデンウイーク中に、三女の結婚式が在ったり、
  孫達とハイキングや食事会と暴飲し、
  我妻に「キット尿酸値が上っているよ!」と
  さんざん言われ続けていた。
   見事!大当たりで妻の顔が益々大きく見える。
   (態度も娘達がいなくなった分、
    息子?に小言が多くなって来たのかな。
   

   先週も大好きなソフトボールの審判を3試合行ってきた。
   その後の筋肉痛や体調異常も無く、
  
   球審は勿論、塁審も頭で考え指令して体が動いた昨秋と異なり
  本当に発症前と変わらず、自然に身体が移動しているのが
  プレイ後、感じられ大変感動していた。

   昨年の今頃はまだ、最悪期の症状が出ていて苦しんでいたのだが
  僅か1年未満で元の身体に戻ったのに
 
   中央病院の高橋内科和漢薬の先生に感謝すると共に
  自分自身の病気に勝つと言う大きな闘争心と信念(気持ち)に
  大いに称えたいと思う。

  妻も
  「あなたの根性には感心する」と言わせる位
  頑張った事に、
  この後又どの様な症状が出ようとも
  「頑張って打ち勝つ!」と言う
  闘争心(気持ち)が確立された事が大きな収穫だ。

  【リウマチ症状】
   この病気に打ち勝った原点は・・・。
   気持ちだった、と
   確信する。
   そして、行ったことは・・・。
りウマチ−6 闘病ー1

    【関節リウマチの原因は不明なので、
    リウマチの原因をとりのぞく根治療法は
     今のところ期待できない。】

  
 症状が最悪期の頃、
   何度インターネットでこの文言を苦い思いで眺めただろうか。

2006年1月 4日
    中央病院整形外科 受診 血液検査 レントゲン  問診等
      「関節リウマチです。」 と、初めて告げられた。

       1月27日から
中央病院和漢内科医師の高橋先生の処方を受ける。
◎ツムラ桂枝加朮附湯エキス顆粒   
(関節痛、神経痛などの痛みを和らげる)
◎ツムラ真武湯エキス顆粒    
(体力回復・下痢、腹痛・消化不良等改善)
◎修治ブシ
    (痛み・腫れとり等)
◎セルタッチ
    (炎症による痛み・腫れを和らげる))

2月10日も上記薬の処方受ける。

3月3日 症状改善せず最悪期続き、先生に症状を訴える。
◎上記和漢薬に
◎クリノイル錠100mg
(炎症による痛み・腫れを和らげる)
◎ガスロンN錠2mg
 (胃粘膜保護修復等)
   以上追加服用する。 

3月24日 依然最悪期症状変化無く
   クリノイル錠100mgに代えて
◎リドーラ錠3mg
      (免疫機能の異常を調節し、
    関節等の炎症・腫れ痛みを和らげる)
少なくとも3ヶ月は続けて服用することに・・・。
   
 私の症状が改善したのは、
       この薬の服用が最適であったのではと考えられる。


       4月 7日 左肩痛が我慢できず 市中の整形外科にて
◎リメタゾン
(痛み止めの注射を受ける)

    風呂  39℃〜40℃ ゆっくり 10〜15分位温める
    関節はこまめに動かす(自分で)
    マッサージは、やさしく 少しなら・・・等指導受け



高橋先生は、リウマチの権威です。
   先生を信頼し、受診を続けてください。」
と忠言いただいた。
大変 ありがたい言葉だった。

4月14日 高橋先生に改善しない症状を告げ、
      上記処方薬に
◎ボルタレンSRCap37.5mg
(炎症による痛み・腫れを和らげる)
◎ガスレンN錠2mg
     (胃粘膜保護修復等)
    上記2薬を症状が改善しつつあった7月まで処方受ける。

  この年の冬は、十数年来の大雪に見舞われ
     私の「リウマチの最悪症状」と共に
           最も苦しい生活環境の冬だった。
 
  しかし、厳冬を体験すればする程春が待ち遠しく
      日毎の暖かさが肌に大いに感じられうれしく感じられた。

      そして 生来の好きなこと、身体を動かすこと、
     幾つかの趣味が自然の
     草木や野鳥と共に活動しだしたのだった。

4月下旬頃だったろうか・・・。

○毎日 昼と夜二回の温泉入浴
昼 地元の【ごくらく温泉】入浴
     露天風呂での数回入浴と
          椅子を利用した数種のリューマチ体操
     庭園の小粒の石上での足踏みによる足裏刺激 
夜  付近の別の温泉入浴 やはりリューマチ体操行う

昼の温泉入浴は、症状が改善した8月頃まで続ける。
夜の温泉入浴は、今でも毎日続け、
         リウマチ体操を、行える温泉施設で行っている。

○朝のサイクリングをやり始めた。
     自転車に乗ってしまえば、足が自然に動かせるのだが、
     車庫から出す時、片足で自転車を跨ぐ時そして
     止まりおりる時は痛みを堪え、慎重に片足に重心を載せ
     転倒防止に努めた。   

     最初の頃(4月後半)は、僅か2〜3Km位がやっとだったが、
     雪を頂く雄大な立山連峰の素晴らしい景観を眺めながら
     まだ足の動きがぎこちなく、転倒も懸念されたが
     ゆっくり慎重に走り廻った。
 
     白岩河畔を通り、大きな一級河川常願寺川右岸堤防を行く。
     ここからの剣岳の勇姿が私の最高の推薦する
     景勝地(特等席)だ。
     そして 白い波が打ち寄せ、カゴメ飛び交う富山湾を眺め
     数年前から 
      祈りを捧げている弘法はん坐像を拝顔し家路に着く。

     家に着いたら、軽い体操やマッサージを続けたのだった。

      身体異常症状・歩行や段差踏み込み障害等の最悪期は、
      5月末から6月初旬頃まで続いたが、
      毎朝のサイクリングにより
    

       素晴らしい景観を眺め、汗をかく。
        精神的に大いに癒されたのは、
           今振り返れば【関節リュマチを克服する。】
           
          第一歩だったことに間違いない。

リウマチー7 闘病ー2

  春の訪れと共に
   自然に身も心も外へ向かって行っていた

 
 昨年春4月 
 歩行を困難にしている症状と痛みが両下肢に見られ、
 股関節から大腿四頭筋にかけて筋の硬直?による前後開脚が不自由に、
 そして左右の膝の周囲が異常に膨らみ、
 屈伸できず、上げ難く
 しかも片足で自分の体重を支える筋力も弱っていた。

 一歩一歩歩くことは非常に困難だったが、
 自転車に乗りを試みたことが私にとって最良のエクササイズだった。

 この頃まだ自分で自然治癒力を引き出し回復していくのだという
 気持ちは、微塵も無かったのだ。
 ただ、熟睡もままならなかったが
 
 朝、目が覚めると外気に触れ景色を見たいと言う一心だったように思う。
 と言うのも、
 約10前、50歳を越した頃から
 なぜか我が郷土富山市水橋地区からの自然景観に興味が沸き、
 殆ど毎朝、自転車で地区西端から東端に4〜50分間のサイクリングを行っていた。

 町中を流れる満水流域の桜の名所白岩川左岸河畔。
 町西端流れる
 川幅及び河川敷も広く鳥獣保護地区になっていて野鳥も多く
 ここから眺める立山連峰が素晴らしく、
 特に剱岳の眺望が私の大推奨の一級河川常願寺川。
 富山湾の奥ばった中心の箇所に位置する
 河口からの海の眺めも又大変趣がある。

 
 
   ペタルを漕ぐ足腰の痛さや動きのぎこちなさも吹っ飛ぶような楽しさだった。
 全ての行程は舗装されていて
 車両の通行も少なく、障害物も気にする事無く
 自然景観を楽しみながら軽い気分転換としていた。 

 以前の約3分の1位の行程で
 体自身が寒さに以上に敏感になっていて波打ち際の海岸道路を行き、
 富山市の東端流れる上市川から水田周囲行くその後のコースは回れなかった。

 毎朝のこのサイクリングが私の一番最初のエクササイズ(身体を動かすこと)だった。

リウマチー8 闘病ー3サイクリング

  
  ふるさとから眺める素晴らしい景観が、
         私のエクササイズのパートナー


  朝のサイクリング・・・
 春4月と言っても富山の朝は寒く、
 特にこの年は十数年ぶりの大雪で、天気のよい日は、
 美しい雪山が長く連なっているのが良く眺めることが出来
 より一層肌に寒さを感じていた。

  神経痛・リウマチ症状の人は、冷えや湿気は最大の発痛要因と言われ
 私自身発症前より数倍寒がりになっていて、
 厚い防寒具や手袋を身に着け家を出た。

  暫くペタルを漕いでいると、身体が熱くなり汗ばんでくる。
 と共に足腰の痛みが和らいできたと言うか感じなくなってきていた。
 その頃は道すがらの景色や野鳥達のさえずりに関心が移り
 身体異常症状も何処吹く風だったに違いない。



  朝の数十分のサイクリング、自転車漕ぎが、
 リウマチのリハビリテーションであって
 後に気が付くが
 毎日、関節が固くなってしまうのを防ぐ為の家庭で行う
 運動療法としてのエクササイズだったのだ。

  自転車漕ぎにより
 末梢神経の流れを良くし、痛みを和らげ、筋肉の強張りをとる効果、
 なにより打ちひしがれていたストレスによるイライラを
 振り払っていたに違いない。

  毎日眺める景色特に立山連峰の眺望は一日として同じ表情を見せてくれない。
 霞や雲に被われて控え目な表情もあれば
 青空にクッキリと浮かび上がりその威厳を遺憾なく発揮している勇んだ表情もある。

  我がふるさと富山市水橋から眺める立山連峰の主な山の名称を覚え、
 その朝表情を見せてくれる山稜に名前を呼び語りかける。

  北の方から
   僧ヶ岳・駒ヶ岳・サンナビキ山・毛勝山・釜谷(かまたん)山・猫又山
   大窓・池ノ平山・小窓・三の窓そして剱岳の早月尾根や前剱・一服剱
   剱御前に別山・真砂岳・奥大日に大日岳・浄土隣の竜王岳に鬼岳
   獅子岳鳶山・越中沢岳・スゴノ頭から薬師岳へと続く。



  今朝は、やや強い南風でペタルを漕ぐ足にも力が入っていたが、
 3,000m級の高い山は雲の中で、それより低い僧ヶ岳や細蔵山
 大辻山等が薄いベールに被われていたが顔を出してくれていた。 
 
  何年前に覚えただろうか。
    これが私を朝のサイクリングに駆り出し、
       自然にリウマチ対症のリハビリテェーションであり、
            運動療法としての「エクササイズ」だったのだ。

リウマチー9 闘病ー4温泉

 
 関節リウマチの治療法に、
   薬物療法・リハビリテーション・手術療法等があるが、
     私の症状に薬物療法特に和漢薬診療が的中し、

リハビリテーションの運動療法・温熱療法が…
         特に温熱療法、温泉療法が最善治療法だったと確信する。



 
  勿論 自分自身の治そうという「明るい前向きな気持ち」が
  自然治癒力を引き出し、
         ここまで回復した原点だったのではと、今振り返れば力説できる。

  生来大好きだった温泉入浴が、
 患部を温めることによる
 関節の痛みを抑え、強張った関節を和らげ、運動能力を回復させた。

   リウマチによる
 身体異常症状・機能障害の最悪期だった昨年4月後半頃から
 地元にオープンした天然温泉浴場に
 毎日通いだした事がリハビリテーションの第一歩だった。
 下着の脱着さえ困難をきたしていたが、
 とにかく好きだったのだ・・・温泉が。

     数年前から毎日各所の温泉には入浴していたが、
     数回の温浴の後必ず水浴も続けていた事が
     リウマチ症状を生み出し、
     症状が回復しなかった原因だったように思われる。


   弱アルカリ性塩化物泉の天然温泉
 【ごくらくの湯】湯量豊富で賭け流し。
  露天風呂で
  入浴と軽いリウマチ運動そして足踏みを数回繰り返巣リハビリ。
  やや温目の湯船で胸を出し寝るように入る事により長く入浴でき、
  傍の椅子に腰掛け膝を屈伸させる膝痛解消運動を両足共50回近く続け、
  立ち上がり片足振りや片足上げを10回づつ3〜4回続ける。

 
ごくらくの湯 検索

 
 
  少なくとも1回の入浴で、
  3回以上湯船に浸かり、運動を続けていた。
  この間殆ど身体清拭をせず
  リハビリの為のみに入浴を続けていたのだった。

  夜は夕食後、自家用車で富山市内の大型温泉入浴施設に通い続けていた。
 
  人工温泉・薬湯・電気風呂・ジャクジー露天風呂等在る【満天の湯】
  アルカリ性の単純天然温泉の【長八の湯】
  アルカリ性単純泉の【アパックス】
  塩化物泉薬湯・電気風呂等ある【東洋健康ランド】等
  通い続けた。

  これらの大型温泉入浴施設には必ずマッサージ機械が設置されていて
  入浴後必ず使用してきていた。


  夜の毎日の温泉入浴は、毎日続けているが、
  昼の入浴は、
  症状が回復しだした7月の終わり頃には行かなくなっていた。

【富山 温泉 浪漫】  http://www1.ocn.ne.jp/~tujitani/newpage4.htm

リウマチー10 闘病ー5温泉 山田温泉【玄猿楼】

  
  私のリウマチ症状回復に大きな影響を与え
  毎日浸からないと何となく気が落ち着かない程
  温泉好きになった源は、
  親父に連れられて行った小さい頃の
  湯治温泉場の旧婦負郡山田村(富山市山田湯)
  山田温泉『玄猿楼』である。



 
 県内でも有数な歴史のある湯治温泉場で
 「傷ついた猿が湯浴みして治していた事から
 温泉として知られるようになった。」と子供の頃から教えられていた。

  富山県中央を流れる1級河川神通川の支流で
 山田川の渓流の傍にあり、
 猿の檻やブランコがあって夏には盆踊りができた広い空き地が中央部にあり
 四方を囲むように一部二階建ての木造建築の
 古びた湯治場温泉で最近特に思い出される。

  今から半世紀前の小学生の頃の思い出が多くある。

 親父が仕事を終え
 最終バスで2時間近く掛かって行った事や
 ボンネットバスで山道を走行中、エンジン付近から白い煙が噴出し
 女性車掌がバケツを持ち左下を流れる山田川に水を汲みに下りて行き
 運転手があわただしく注水した事もあった。


  長い行程だったが乗り物好きで前面が見渡せる運転席横へ駆け込み
 楽しい一時だった。

  湯船傍の小さな石造猿の口から給湯されていて良く飲用したものだ。
 あの時の湯臭が今も鼻に残っているが、
 最近も行き、飲用するが何故か昔の頃の臭いと異なるような気がしてならない。

  渓流傍にこの頃珍しく2〜30m位の温泉プールがあり、
 今振り返ると微白濁で上記したが少し独特の臭いがあった。
 ある時入り過ぎて湯当たりし夜発熱し、
 間したおばさんに介護してもらった記憶が蘇る。

  夏休みの頃は特に賑わい同間は当たり前でそれも又楽しかった。
 1人の老人が奏でる「越中おはら節」の胡弓の音色が今も耳に残り、
 小さいながらも聞き惚れて
 郷土の代表的民謡の素晴らしさを誇りに思い続けている。

  とに角思い出が一杯ある山田温泉だ。
 泉臭が今も思い起こされるが、
  今の温泉臭と違っているように思われて仕方が無い。

   http://www1.ocn.ne.jp/~tujitani/newpage4.htm

リウマチー11 闘病ー6サイクリング

   
   リウマチ対症のリハビリテーションは、
     朝の約30分間のサイクリングが始まりだった。


  サイクリングは、約3.5Kmを2〜30分かけての運動療法だった。
  ふるさとの素晴らしい景色を眺めながらのエクササイズは前回記したが、
  途中【弘法はん】に症状ガ回復する事を祈願する為の道行きでもあった。

 「困った時の神頼み(仏様頼み?)」だが
  きっかけは6年前でそれ以後毎朝続けていた。
  しかし寒くなった晩秋
  しかもリュマチ症状が厳しくなった頃から行くことができなかった。
  振り返ると半年近く休んだ事になる。
  
  “弘法はん”は、高野山真言宗の【弘法大師堂】で
  2003年 7月16日の【マガモ日記】に次のように記している。


 
 わが町の中心を流れる巾百メートルに満たない白岩川の
  河口近くの右岸にある弘法大師堂を訪れている。
  3年以上前からマガモ達に会わない日があっても
  【弘法はん】(さん・・・でなく)に会わない日はない。
  雨の日も雪の日も。
   些細な訳がある。
   3年前の一月、2000年富山国体が秋に予定され
  私がソフトボールの審判委員に委嘱されていたが、
  当時、片膝が痛く曲げ伸ばしが非常に困難をきたしていた。
  
  特に球審をする時は、
 試合のへ集中力が膝痛により疎外されるのではと大変気にかけていた。
  そこではっと気が付いたのが
 「困った時の神頼み・・・」でなく『弘法はん頼み』とあいなった。
  
  この地には弘法はん伝説があり、
 毎朝大勢の老若男女が近隣から祈願に訪れ崇められている。
  
  小さい時信心深い祖母から朝飯前に仏壇の前で
 手を合わせ般若心経を唱えることを強いられて?いたお陰で
  薄ら薄らに覚えていたが
 約50年ぶりに経典を見ながら何時しか思い出し、
 お坊さんに負けないくらい?早く読経できる様になっていた。

  等身大の弘法はん像の膝を撫でるなどしている内に何時しか痛みも忘れ、
  毎朝の礼拝のみが続けられ日課になってしまった。
 
   国体のソフトボール審判が無事やり遂げる事ができたことは言うまでもない。
   しかし、やはり緊張していたのであろう。
   『南無大師遍照金剛』の称名を大会当日の試合前に唱え様と思ったが
    どうしても出て来なかった。
   毎朝何度も唱えているのに、度忘れするほど上がって(緊張)いた様だ。
 
   一つだけ悔やまれるケースがあったが合格点だったのがお蔭様だった。
   それから今もずっと続けている。今後も続けて行く積もりだ。

   しかし、発症前は
   礼拝後約1.5Km位の防潮堤道路を
   左に富山湾を
  正面に雄大な立山連峰を眺望しながらの
  贅沢なサイクリングを続けていたのだった。

  エクササイズは、以前行っていた三分の一位の行程が関の山だった。
  行程を伸ばすのに2〜30日要したかも・・・。

リウマチー12 闘病ー7 歩行訓練

 
  私の職業は理容師。
 40歳代位まで野球・ソフトボールそしてビーチボールの現役選手だったが、
 次女が中学時代の部活にソフトボールを選んだ影響で
 ソフトボールの審判資格を執り、興味が沸きのめり込んでしまった。

  第一・第三日曜日が休業日になって十数年になるが、
 その間、日曜休日は審判に明け暮れ
 県内は勿論近県にも派遣され
 審判資格も2種1種と上級クラスもできる資格を得
 国民体育大会や日本リーグの審判も経験する事ができた。


  
  昨年前半期は、リウマチ症状が出て走ることは勿論
  歩く事さえ不自由し、気が滅入っていたが、
   リハビリ・トレニングの結果8月頃から審判出来るように症状が回復し復帰した。
 
  自分自身の意欲や根性に敬意を表している事は以前にも記載した。

  昨年の今頃は、
 歩く事さえ困難だった日常生活から
 再びソフトボール審判がやりたい一心(山登りや写真もかな)で
 一生懸命歩行訓練を行っている頃だと振り返る。

  膝の両端の筋が張り、動き難く体重の一部でも支えることができず、
 足首や指の付け根付近も動きが困難で
 身体を振り子のように揺すりながら体重移動させながら歩いていた。

  痛みについては、
 薬や温熱療法は勿論、陽気が暖かくなるにつれ和らいでいたように思うが、
 朝のサイクリングのエクササイズも重要な痛み止めだったと振り返る。

  家の横の小路で数メートルからの歩行訓練を開始した。
 まず、全身に「これから歩くぞ!」と命令をかけてからの第一歩だった。

  底の厚い靴を選んで開始する。

 1 足を前に出す時、かかとから地面に真っ直ぐに着ける。
 2 体重を前に出した足の親指の付け根へ移動する。
 3 反対の足のかかとを前方に着けると


  つま先(親指)でしっかりとキック体重を前方へ送り出す。
  いち! にー! いち! にー!

 
  暫くは、本当に数メートルしかできなかった。
 一日に数回、お店の客足の空いた頃を見計らって行う。
 その後足腰を撫でたり揉んだりのマッサージ
 最後に片足交互に、前に後にキックする様に振り払って歩行痛を和らげた。

  暖かく調子が良い時は、歩行距離を50m近く伸ばす。
 そして100m以上離れた町内にある氏神社へ向かうようになった。
 硬いコンクリート路面と異なり
 柔らかく凸凹している草や土の上を
 弧を描いたり8の字状に歩いたり・・・。

  背筋を伸ばし、肘を直角近く曲げ腕を大きく振る。
 近くを通る人達には奇異に見えたと思うが、
 殆ど毎日行っていたのでリハビリの為に行っている事が
 後に会った時に町内の人達によく言われた。

  前歩きが出来るようになっても
 足を交互に横に出す事やその場でジャンプする事が
 できるようになるまで暫くの期間を要した。

リウマチ−13  闘病ー8 山登り

 今日から11月。
 毎朝のサイクリング時に触れる
 海からの風も、冷たく感じる今日この頃。
 2年前の今頃、左手の人差し指が痛みはなかったが
 動きに違和感が生じ、強く意識しても手嘗に触れることが出来なくなってきていた。
 初診の「関節炎」と言う診断から、
 徐々に痛みが伴ってきて動き困難な症状も全身に拡がり
 2006年正月開けに受診した県立病院整形外科医の宣告は、
 「リウマチです!」だった。
 
 その「リウマチ患者」である私がこの1ヶ月の間に
 4度もふるさとの山踏みすることが出来た。



 室堂から一の越へ、
 二年ぶりの雄山頂上神社でお払いを受け、
 3015mの大汝山から真砂岳別山走破の立山縦走。
 みくりが池から雷鳥平や浄土沢へと素晴らしい立山の紅葉見物。
 称名から弘法平への八郎坂登山。
 そして錦秋の称名の滝を見にと…。
 特に剱御前の室堂乗り越しから雷鳥平へ下山する雨天時、
 急傾斜で足場が悪く湿った落ち葉に
 足がとられそうになる岩場の八郎坂下山時は、
 細心の注意を施し山行きを思う存分堪能してきた。

 最悪症状が出ていた昨年春頃、
 歩行訓練の為近くの神社でトレニングしている様子を知る近所の人達は、
 今の私の生活動作を見るに着け
 「よ〜治ったネ〜!」「よ〜がんばられたもんネ〜!」と感嘆の声をかけてくれる。
 
 股関節の動きが鈍く、
 「これから歩くぞ〜」と一歩踏み出す意識を全身に喚起し、体重を支える。
 体重を支える力が劣り、踏み出すことが困難に近い両膝に力を混入し、
 前足踵を真っ直ぐ前に踏み出し体重を移動し前へ。
 そして痛みを伴い硬くなっていた足裏、
 特に親指から地を蹴ってゆっくり一歩一歩練習をやっていた。
 ほんの数メートルからやり始めた。
 境内の数段の階段も「これから上がるぞ・これから降りるぞ!」
 意識を込めないと出来ないような状態だった。
 これが何ヶ月続いたのだろう。
 今振り返ると本当に他人事だったようにさえ思えるようになっている。

 
 
山に登りたい。
 温泉へ行きたい。
 スポーツをやりたい。
 趣味を持っていたお陰で、『リュマチ症状を克服』したと確信している。
 「リウマチは治る。絶対治そう…と!」 

リウマチー14 闘病ー9サイクリング・徒手体操

 朝自転車で家を出る。

 我が家の近くを流れる白岩川左岸から見る北アルプス立山連峰。
 その山容姿を現しているか否かで1時間のエクササイズ時の感慨が異なる。
 
 日の出前の青空にくっきりとその山稜を現している冷えた朝と、
 種々の厚薄雲形に覆われた重苦しい空気の中をぺタルを漕いで行く時とでは…。
 なぜか常願寺川河口の浜黒崎海岸の堤での
 徒手体操の指先、足先のリズム感が微妙に変化が出るから不思議だ。

 富山湾の奥に位置し、
 左に能登半島が湾中央付近まで突き出し、
 右にこれからの季節、長く湾に突き出た生地海岸が海上に浮き上がって見える
 冬の蜃気楼“浮島現象”を望むことが出来る河口左岸堤。
 
 県の東方斜めに走る立山連峰。
 冬至が近づくにつれ、中央部に勇壮に鎮座している剱岳付近から
 きらきらダイヤのように朝陽が顔を見せる。

 日本有数な景観に相対して徒手体操を敢行する。
 (中学3年時、運動会の全校徒手体操を台上で演技?した
  模範競技者だ…己惚れか)
 大自然を観客にして気合に入った徒手体操をご披露する。
 (最も近くを通る朝の散歩をしている人達は、
  小生を奇人変人と思っているに違いない)

 まず、
 1足踏み
  手を大きく振って、膝を直角位まで上げる。
 2両膝の屈伸・回転させる運動
 3両足を大きく開き、片足の曲げ伸ばし
  自転車を漕いで来ているのでひざの運動から始め体を解す。
 4手振り、肘や肩を回転させる上肢の運動
 5ジャンプしながら手を開いたり、上部で合わせたり100回位行う
 6横屈・前屈・後屈運動
 7足払い
 8深呼吸
  (順不同…の場合もある。)
 ここまで来ると汗ばんでくる。
 そして最後に手足を撫でたり軽く揉んだりして終了する。
 僅か15分位だがエクササイズ前半の部だ。

リウマチー15 闘病ー10サイクリング・海辺

 あすは、もう立冬。
 暦のうえでは冬ということに。
 
 今朝は、自転車で出かけるにはちょっと冷たいかな〜と憂い、
 歩くことも思案したが、
 トレーナーに防寒具を着込み、いつものようにぺタルを漕ぐコースを選択した。
 顔面と他人様よりちょっと大き目で立っている耳に触れる外気は、
 やはり冷たく応えた。

 毎朝行うエクササイズも、
 雨が落ちていれば散歩コースで、サイクリングコースの約半分の行程、
 しかも徒手体操を行うことはできない。
 途中に“弘法はん”のお姿を拝むことで今の健康な自分があることに感謝し、
 運動できること、海や山の景観に触れることがいき甲斐により、
 必ず両コースに取り入れている。

 コース前半は、前回記載したが
 “弘法はん”参拝後、白岩川右岸河口から町の東端を流れる上市川河口までの
 約1.5Kmの防波堤サイドを中間部コースと感じている。



 左に富山湾の潮風を受け、立山連峰の毛勝三山を正面に見て走る。
 少年時代は、波打ち際が堤から5〜60m以上いやそれ以上今の海上遙かだったが
 現在は、堤から20m位沖に海岸に平行に沢山のテトラポットが構築され
 荒波からの侵食を防いでいる。
 途中、数十mの区間のみテトラポットが設置されていない箇所があり、
 この区間のみ、ぺタルスピードを緩めたりある時は立ち止まったりする。
 コースの中でも趣がある好きな場所の一つだ。
 富山湾はわが町流れる白岩川を境に西の海岸は砂浜、
  東は砂利の小石海岸が多い。
 好きな波打ち際は、寄せる波返す波で砂利が波と小石が擦りあい移動するため、
 合唱するように奇声が発生するからだ。
 じっとよく見ると寄せて砕ける白波の形も様々で
  一つとして同形はなく不思議に思う。
 横に連なったかと思うと一箇所のみ早く砕けたり、次に飛び石状に砕けたり。
 本当に興味が湧いてくる。
 
 もう一箇所
 上市川とその河口付近もまた趣がある。
 この季節になると在来のカルガモ達の中に
 頭に赤褐色で眉間にクリームを塗ったようなヒドリガモが大群でやって来る。
 同じ海岸でも何故かこの上市川河口付近は、岸辺やテトラポットには、
 緑の水草が目に付くくらい張り付いている。
 ヒドリガモが海藻類が特別好きな様子が見て取れる。
 この冬の間に良き伴侶を見つけるための凄まじい恋のさや当ても演じられ
 その様子を見るに着け、毎日励行する
    自然観察もまた景観に劣らない
      エクササイズを続けられる栄養源だと信じている。

リウマチー16 闘病ー11サイクリング・電車

 
  少し開かれたカーテンの隙間から射す朝の陽光に起こされていた頃と異なり、
 夜長くなったこの頃は、窓外まだ薄暗い時刻に
 床を抜け出さなければならない。
  時計を見て慌てて飛び起きることが多くなった。
 
  リウマチ疾患は、身体を濡らすこと冷やすことは大敵なので
 もうそろそろ、毎朝のサイクリングを散歩に切り替えなければと思う。

  約1時間近いサイクリングの前半・中間部は前回記したが、
 後半部もまた楽しく行える要因が存在する。
 この歳になってご披露する事は若干恥ずかしく気が引けるが・・・。
  吉永小百合に似た素敵な女性と毎朝めぐり逢えるから・・・。
  いや違います!残念。


 
 『サンダーバード』や『はくたか』そして『通勤電車』
  『クハ681』『クロ683』『クモハ418』等々走り来る電車です。

  後半部3〜4Km区間は、JR北陸線沿線をサイクリングするので
 時間帯に必ずこれら電車たちと遭遇するのだ。
  昔懐かしい「ガタン・ゴトン」と車輪が奏でる響きは、
 ロングレールの普及により聞くことは出来なくなったが、
 踏み切りで電車の接近を告げる警報機の叫びは数百メートル隔てていても
 聞くことが出来る昨今だ。
 区間中、一ヶ所の踏み切りで「カン・カン・カン」と鳴り響く音を聞くと
 少しでも近くで通過する車両を見たり聞いたりしたいので、
 ぺタルを一生懸命漕ぎ踏み切りへ走る。
  また、途中JRの高架橋があり
 線路の向こうに電車の前照灯が見え出すと
 きつい角度ある坂を、立ち漕ぎしながら全力で頭頂部位を目指し、
  上部から電車を見下ろす。  乗客の皆様「ごめんなさい!」です。

  時たま、旧国鉄時代の『急行 立山』カラーの「クモハ475」と遭遇する。
  この電車には、懐かしい思い出がある。
  青春時代、京都で今の仕事の修行していた頃、
 お盆や正月にふるさとに帰省するのに利用していた。
 超満員で京都から座席に座ることできず、
  乗降口付近に新聞を敷いて寝転び帰省した。
  
  車両編成って本当に興味が湧く。

  前照灯が2個なら及び高モーター音の通勤電車でやや余裕あるが、
   3個なら特急電車により歯を食いしばり立ち漕ぎしてもがんばる。
  遠ざかる2個の赤いテールランプを見送る。
  坂を下るとき肌撫でる風は、汗ばむ身体に心地よく感ぜられる。

    自然景観もエクササイズのサイクリングに力と勇気を与えてくれるが、
   鳥達の鳴き声や人間生活の営みが醸し出す騒音もまた
   私の朝のトレニングを励ましてくれているように思える。


   富山温泉浪漫
   青春18きっぷ

リウマチー17  闘病ー12温泉 

   12日(月曜日)の休日、新五箇山温泉(平ふれあい温泉)“ゆ〜楽”に行く。
     “ジィジィ”に似て温泉好きな2歳半の孫「サッチィー」を伴って。

   リウマチ症状の改善にと毎日我が家近くの温泉に入浴しているが、
   休日は、車で遠出して山間の温泉に向かう。

   先週も「サッチィー」と宇奈月温泉“とちの湯”に出かけた。
   黒部峡谷の紅葉も真っ盛りで露天風呂からの眺望も
    孫も「山きれい!」と感激するほどきれいだった。
    
   家を出る頃は、細かい雨が落ちていて行くか否か迷いもあったが、
    頭上の厚い黒雲よりこれから行く西南部の山稜が顔を出していたので
      賭けてみた。
   砺波市庄川町から国道156号線を庄川峡の紅葉を眺めながら走る。
   雨は落ちていなかったが陽光が射す事無く明るく輝く紅葉とはいえないが、
  紅葉時期としては最盛期ではと感じられる景観だった。

  
 
 大崩の吊橋を渡り“ゆ〜楽”に着く頃は、対岸の群青色のダム湖水上の
 山々に陽が射し、木々の色づきがくっきりと浮かび上がってきた。
  湖畔の高台にある露天風呂から眺める紅葉はこれまた最高だった。
  
  硫黄泉の泉質は、リウマチにも効能があり帰る頃再び入浴した。
  泉温も熱くなく、秋の冷気と素晴らしい紅葉でついつい長湯になってしまった。

    大の温泉好きで、
       毎日の温泉療養が(リウマチ症状を改善】したに違いない。
               小さい頃温泉によく連れて行ってくれた親父に
                    改めて感謝したい。


   富山温泉浪漫
   ゆ〜楽

朝の散歩

  昨日、テレビの天気予報見ていると
 シベリア方面から寒気団が降りてきて北陸地方も寒くなる気配。
  前夜から明日はサイクリングではなく徒歩でと決め寝床につく。
  

   
          富山市野中や田尻池に冬の使者白鳥飛来
  朝家を出る時は、
 青空に雲1つない冬特有の放射冷却による凍てつくような冷たさではなく、
 歩きでなく、自転車でとも・・・と思ったが、
 予定通り歩くことにした。

  サイクリング行程の常願寺川河畔と浜黒崎海岸廻りを省略し、
 白岩川河畔より浜の“弘法はん”に向かう。 

  弘法大師坐像の前で以前はまったく正座できず足を投げ出していたが
 現在は、“般若心経”等を唱える約10分位正座し、立ち上がる時も
 何の支障もないくらい下肢は改善した。 約20分歩いて来ても。
    ――感謝・感謝――
  
  お堂前から浜黒崎方向を眺めると
 波打ち際から海岸沖の方へ白い湯気の様なものがもうもうと流れていた。
  冬の寒い朝、海岸でよく見られる自然現象“けあらし”が発生したのだ。
  海水温が大気より温度が温かくなり、
 湯気のように立ち上ったのだ。

  階段を上り防波堤道路を行く。
 今朝の正面の立山連峰は、僧ヶ岳・毛勝三山・大日連山そして鍬崎山など
 標高2500m〜600mより山裾まで現していたが
 剱岳や立山など高山は、雲の中に隠れ眺めることは出来なかった。
  それでも薄赤く色づいた山裾の上に雪山が水墨画のように描き出されていた。
  そのコントラストの光景に目が注がれた。

  家を出て3〜40分頃、砂利浜が奏でる自然コンサート会場に着き
 汗ばんだ身体と肌着の中に冷気を差込むため立ち止まり聞き耳を立てた。
  今朝は波も大きく、
 楽器である玉砂利を移動させる区間も長い所以、
 ハーモニーも長く、近くのテトラポットで砕ける波音と合奏され
 聞き応えがあるひと時だった。

  上市川では、“ヒドリガモ”が
 道一号線に架かる“いおのみばし”を境にして
 上流と下流に約100羽づつ別れ集団で泳いでいた。
  人間と異なり黒くて地味な?メスを中心にして
 派手に着飾ったオス同士の
 恋の鞘当シーンを何ヶ所かで演じられていた。

  それにしても今朝歩いた2級河川の白岩川・上市川の堤の法面に
 黄色いジュウタンが敷かれたようにセイタカアワダチソウが生い茂っていた。
  一級河川の常願寺川河川敷には、
 今年は例年になくススキの穂が広く咲き誇っているように感じていたが、
 市街地近い2級河川も早く昔のようにススキが風になびく景色を見たいものだ。

   それにしても自転車で回るときと歩くときでは
        目に留める自然の感じ方が異なるのでまた明日も
                        何か良い光景が・・・。


富山温泉浪漫

富山の白鳥

グルコサミン

   昨朝は再び上空に寒気が入り込み、
 庭のやや色づき始めたつつじが薄っすらと雪化粧した。
  秋まだ半ば、早くやって来た冬景色を撮ろうとカメラ片手に朝の散歩。
  
  富山湾の冬の風物詩、
 海面から湯気がもうもうと湧き上がる“けあらし”が発生、
 はるか沖は白い霧状の湯気に覆われ望むことが出来なかった。
 防寒服に身を包み出かけるが、
 早足で一生懸命歩く、みるみる身体全体汗ばんできた。  
  
  それにしても元気な元の身体に戻していただいたものだ。
  朝約5Km早足散歩でき、10Kmのサイクリング、そして10分の正座も、
 また休日に山登り、数百段の階段も休息あるが登り、
 好きなソフトボール審判も出来るように
 関節痛(リウマチ)が回復することが出来た。

  内科和漢薬が病状治癒の根本診療であり、
 徒歩・サイクリング・トレニンゴ及びマッサージ等のエクササイズ
 栄養補助食品・アミノ飲料等サプリメント、
 そして毎日欠かさない好きな温泉、
 これらを補助的治癒と・・・。
  以前の健康な体調に回復した現状は、
 毎日根気よく励行し続けた賜物と自負している。
 
  最近テレビや新聞に毎日のようにサプリメントのコマーシャルが報道され、
 特にグルコサミンとコンドロイチンである。
  加齢による関節痛に効果がある補助栄養食品と紹介されている。

  このコマーシャルに加担するようだが・・・。
  実は私は、昨年の9月頃からグルコサミンとコンドロイチンを摂取続けている。
 夏頃から症状が回復し、山登りや審判もやれるようになっていたが、
 スーパーマーケットで種々のサプリメント、特にグルコサミン製品が目に留まり、
 1瓶試飲するつもりで購入したが
 現在も服用常飲するまでに日常化した。

  1日飲む10錠中、
 グルコサミン塩酸塩1500mg、
 鮫ヒレ軟骨抽出物(コンドロイチン含有)100mg、 
 発酵コラーゲン分解物100mg等
 主要成分で他の製品よりグルコサミンが多いようだ。(コンドロイチンは少ないが)
 
  グルコサミンは人間の関節接合部分に多い軟骨細胞に多く含まれる物質で
 年齢を重ねるごとに減少してゆく物質で、
 補給することにより、ひざの関節痛の改善に効果がある栄養補助食品と紹介されている。
 
  現在の健常な心身は、
 本柱である良薬に巡り会え、
 これを3本の支柱が調和良く働き支えていることに感謝し、
 趣味や種々活動に精進し、これからの人生を謳歌してゆきたい。

 
 富山温泉浪漫

 立山紅葉

温泉三昧

 2006年1月4日「リウマチです」と県立病院の医師に宣告されて
 早2年が経過する。
 現在は何ら症状がなく、「本当にリウマチだったの?」
 いぶかる友人も大勢いる。
 スポーツはでき、3000m級の山へ日帰り登山にも行き
 しかも、アルコールは以前と変わらず結構付き合うので…。
 
 しかし、担当内科和漢診療医師からは
  「無理すると又発症するかもしれないから…」

 先月の診療機会に再度厳重にご注意いただいた。
 
 現在常備薬は、『ツムラの30番・18番』そして『リドラ』
 補助食品として『グルコサミン等』を飲用する。
 
 歩行訓練でもある散歩。
 暇さえあればエクササイズの簡単なトレニング運動を欠かさない。
 
 何よりも毎日の『温泉入浴』これは私にとって最良のエクササイズと確信している。
 毎日同じ温泉には行かず、日々異なる温泉へ行く。
 新年も元日『長八の湯と満天の湯』2日『金太郎温泉』3日『東洋健康ランド』へ。
  
 富山県内に各種泉質の温泉が沢山在り、
 飽きがこないよう道程もまた大きな気分転換になる。
 
 もっとも冬の露天風呂は、身体を冷やさないように入浴しないこともある。
 雪景色を見ながらの温泉巡りは最高の道楽だ。

 
 昨今のガソリン値段の高騰が骨身に沁みて?は、きている。
 交通費の中型車で月3万円は確かに痛い。

 富山温泉浪漫

紅葉の立山が待っているが・・・

 今日は、月一回の中央病院“内科和漢”高橋先生の受診日。
 
 8月の受診日に血液検査があり、
 “CK”指数が以前の検査で100以内なのに、
 何と5444が出て、直ちに心電図を受診し
 正常状態により安堵するも“神経内科”へ回された。

 問診によると「どうも3日前の炎天下のソフトボール審判による
 肉離れ症状の影響ではないか」との判断だった。

 1週間後に再び血液検査し結果は、
 105と正常値に戻っていて診断が正しかったようだ。

 しかしその後の、
 今振り返るとちょっと激しい運動の影響か、
 左膝が少し痛くなり、長い距離の歩行も困難になり、
 トレニングも少し控えていた。

 10月には、ソフトボール女子2部リーグが富山であり、
 審判要請が来ているのと、
 何よりもあの素晴らしい「立山の紅葉」が私を待っているに違いない。

 自身の大切な?趣味のために

 高橋先生に、症状を訴えた。
 直ちに“レントゲン撮影”を受診する。

 まさか“リウマチ症状”が再発したのでは・・・と心配したが、
 結果は、全く異常なく「何事でもやりすぎでは・・・」と、おっしゃった。
 やはり先生には、お見通しのようだ。
 「はい!以後気をつけます」と、言って帰宅したが。

 やはり審判と立山へ登りたい。

 慎重にトレニング続けることを誓う。

 http://www1.ocn.ne.jp/~tujitani/07-tateyamakouyou.htm 
 立山紅葉

 http://photo.space.rakuten.co.jp/M2Q3NDZhY2VjNDY3NTk_/
 マイフォトアルバム

気がかりだったソフトボール審判を・・・


 今日は朝のトレニングであるサイクリングは中止。
 前夜から行わない事に決めていた。

 “こられんか水橋”のイベントも無事終了し
 温泉に入ってちょっと晩酌して
 早く寝床に着いたが

 実は、
 今日の『日本女子ソフトボールリーグ2部』富山大会の
 “審判要請”を受けていた為に、緊張感を高めていたのだ。

 

 心の切り替えを十二分にやり遂げなければ、
 身体が動かない、スピードに付いてゆかれないと
 感じていたからだ。

 7月の立山登山以後、
    

 左膝に少し痛みがあり、
 温泉療養とストレッチや毎朝のサイクリングで
 成し遂げる体力には自信は・・・あったが
 弱気な影が頭を過る時もあり、自分で奮い立たせていたのだ。

 担当審判は、第三試合目の三塁塁審で
 前の試合を自分自身が担当している積りで
 イメージを描き集中させていた。
 
 その成果、
 心配した左膝の障害も余り感じられず終了した。
 
 毎日の温泉とサイクリングのエクササイズにより
 膝の周囲の筋肉が強化され、次第に下半身が形成されたと確信した。
 自信につながった。 

リウマチ症状改善から2年目を向かえる


 指に違和感を感じて早3年

 「リウマチです!」と、宣告されて2年10ヶ月

 リウマチ症状から開放されて2年近く経過した。

 今年は、立山高原バスを利用し5回も室堂2450m周辺へ行き

 一度のみだが
     立山【雄山(3003m)大汝山(3015m)富士の折立(2999m)登頂する。
 

 

 ソフトボール審判も
 
 全国中学校ソフトボール大会

  そして日本女子リーグ2部もやらせていただいた。

 身体的に若干の膝の痛みはあったが、

 リウマチ症状としては全く見られなかった。

 ただ8月の血液検査で

 【CK】指数が「5444」も出て

 高橋先生の方がびっくりされ

 心電図とレントゲン撮影検査に直行を命ぜられ

 全く異常が見られず安堵された。先生の方かも・・・。

 どうも4日前のソフトボール審判、3日前の立山登山で

 「筋肉細胞が炎症を起こしたのだろう!」だった。

 「やり過ぎないように!やり過ぎはいけません!」またまた警告を受けた。

 ご心配をおかけして申し訳ございません。

 今年もう一度立山へ行きたいな〜

 
 常飲薬 リドーラをリザスト(ジェネリック)に8月から変更。

 ツムラ桂枝加朮附湯顆粒とリザストの2錠のみとなる

 

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